終於找到了 上新聞的中篇介紹 


書き起こします(静岡新聞 10月26日夕刊8面 「ASIA潮流」より)。


「空気が澄んでいて、町も清潔。女性はみんなおしゃれだし、いるだけで
肌がきれいになった気がするの。この前は日本人に間違えられちゃった。」
うれしそうに話す蔡翠文。台湾からあこがれの日本に移り住んで6年目に入った。

今では東京・大塚にオフィスを構え、貿易会社を経営、売上げは伸び続け昨年2000万円に。
台湾と日本を行き来する生活を送る。
今年8月、半年振りに帰った故郷でも、カラオケで宇多田ヒカルらの歌を日本語で熱唱。
哈日族(ハーリーズー)の友達と日本の最新のファッションや売出し中の歌手の話題で盛り上がる。
「台湾が日本だったらよかったのにな」。

翠文が日本行きを気炎田のは2004年4月。台湾の短大で医学美容を学び、エステティシャンとして
高雄に自分の店を持つまでに腕を上げた。
この世界でも、役立ったのは高校時代から読み続けてきた日本のファッション誌。
「本格的に美容を学びたい」との思いに加え「子供の頃から好きな日本に住んでみたかった」。

3ヵ月後には従業員40人を抱える店を閉めて来日。
入学した日本語学校のある横浜市西区は、台湾で欠かさずに見ていたトレンディドラマの舞台だった。

学校の近くに借りた木造二階建てアパートの畳の部屋に「ちびまる子ちゃんの家と同じ」と大喜び。
日本人男性と結婚した友達のマンションでカウンターキッチンなどの設備を見て「テレビの通り」と興奮した。
満員電車に驚き、牛丼や大根おろし、コンビニのおにぎりも大好物になった。
「すべてが新鮮。毎日わくわくしていた」。


来日から半年、新生活を楽しんでいた翠文に、母(当時51)ががんを再発したとの知らせが届いた。
日本語学校を休学し看病に駆けつけた。
留学前、周囲から「成功した店を閉め、なんで日本に」と心配されたが、母は「人の言うことを気にせず、
思うとおりに生きればいい」と言い残して息を引き取り、翠文は半年後に復帰した。

大学で美容を学ぶ希望をあったが、学費の問題などから断念。
「まだ日本でやりたいことがある。仕事があればずっといられる。」と、卒業後間もない29歳のとき
1人で貿易会社を設立した。

通訳の仕事を引き受けながら、日本で発売されたばかりのシャンプーなど台湾で人気が出そうな商品を
選んで輸出を仲介したり、取引先の依頼を受け限定商品の入手に奔走したりして、会社も軌道に乗った。
「いつかは本を書くような仕事をして、日本のことをもっと伝えたい」。
夢を語る翠文は子供のように目を輝かせる。

膨湖島で民宿を経営する実家には日本から送った大好きなキティのぬいぐるみが並ぶ。
「浴衣を着て花火を見たいし、生け花もやってみたい」「カプセルホテルもまだ泊まってなかった。」
「寂しいけど、いい仕事をしてほしい」と見守る父(55)。
弟(32)は、「最近は寝言も日本語。
待ち合わせにちょっと遅れただけでいらいらするし、会うたびに日本人のようになっていく」と笑う。

創作者介紹
創作者 蔡姐 的頭像
蔡姐

東京住宿蔡姐之家‧日本翻譯.留學度假打工.投資移民

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